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10月公演ワーニャ伯父さん

こんにちは。
慶應義塾演劇研究会10月公演「ワーニャ伯父さん」にお越しいただいたみなさま、本当にありがとうございました。

企画責任兼演出の松本です。
ロシア文学界の巨匠アントン・チェーホフ作、「ワーニャ伯父さん」をこの度慶應劇研で上演させていただく運びとなったこと、そしてそれが無事に全ステージ終了し、多くのお客様にご来場いただけたこと、深く、関係者各位、お越しいただいたお客様に感謝を捧げます。

慶應劇研として、古典はおろか、近現代の名作と呼ばれる戯曲に挑むことはここ数年ではほぼなかったことかと思います。

僕は、慶應義塾演劇研究会というこの団体で過去2回演出を持ったことがあります。いずれも僕自身が脚本家をつとめ、20分ほどの短い脚本に演出をつけていくというものでした。そしてそのいずれでも僕が描こうとしたのは、大学生という若者の若者らしい発散ではなく、静かな、それでいて強い意思を持った叫びだったのだと思います。

さてそんな僕は今回、思えばこの企画が動き出してからの2ヶ月半、チェーホフという作家に、このワーニャ伯父さんという戯曲に、振り回され続けていたように感じます。うまく行かないことも、思い通りにならないこともかなりの数ありました。
チェーホフという人物を、かけらひとつでも理解できたか。最後まで終わった今でも、それに僕は自信が持てません。

チェーホフが描きたかったことは一体なんだったのか。きっと僕には重ねてきた年月も、経験も足りないのでしょう。それでもどこかに、「ワーニャ伯父さん」を読んだ時に確かに、自身に通じるものがあったように思えてならないのです。透かして見えるもののどこかに。それだけを頼りに、この2ヶ月という日々を過ごしてきました。

この作品は僕にとっての、僕自身への問題提起です。この先も年を重ねて、まだまだ沢山のことを見ていかなければならない。長い長いその日その日を、うずめていかなければならない。そうすればいつかは、ひとかけら程度は、理解できるものがあるのかもしれない。しかし、僕の一歩は、未だ希望を持った一歩として。理解することの出来なかった僕には、まだ人生を諦めきるには少し早いのでしょう。


今回関わってくださったスタッフ、役者の方々、関係者の方々、お越しいただいたお客様、重ね重ねにはなりますが、心よりの感謝を捧げます。どうぞ今後とも、慶應劇研をよろしくお願いいたします。


2015年10月26日
松本 翔吾
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「役者は嘘をついてはならない」
これはセレブリャコーフ役の川本さんが、稽古中に何度も言っていた言葉です。それを踏まえて、取るに足らない話をすこし。


嘘をついたことがあります。何度も。

本当のことを少しだけ混ぜた嘘というのは真実味に溢れやすいので、多くの人は日常生活でよくこの手を使います。完全な嘘をつくことは難しいですが、本当のことが混ざった嘘をつくことは容易いからです。そして私は容易い嘘が好きなのだと思います。そうして私は自分のことを、おだやかにゆるやかに誤魔化していきます。

何年も何年もそうやってきました。何年も何年も、一日一日、周りだけでなく自分にも嘘をついてきました。記憶すらも曖昧で、常に自分に都合のいいように書き換えられています。小さな状況説明から、少しずつ嘘を重ねていきます。別に嘘をつく必要なんてないのはわかっていても、ほんとのことよりもちょっぴり体裁の良い、聞こえのいい事実を言う。誰も気がつきません。周りの人はしごくどうでもいい自分の些細な嘘など気にも留めないからです。そうして自分の周りに好きなように嘘のレンガを積み上げていく。安心できる、自分だけの壁です。


そうして嘘をつく自分に慣れていく、気がつけば、嘘無しではひとりで立つことすらままならなくなっていた。


演劇というものに触れてから、今回が初役者です。稽古中、演技が嘘をついてると言われるたびに逃げたくなって、そのたびに嘘をついていないように見える嘘をつきそうになりました。
ああ堂々巡りだと、その繰り返し。

しかし稽古を重ね色んなひとの演技を見ているうちに感じていくことはたくさんあって、その中で掴めそうなものが見えてきたと思います。



さて、役者は嘘をついてはならないという言葉を引っ張ってきましたが、『ワーニャ伯父さん』という作品自体はそれぞれ魅力的なキャラクター陣によって用意された嘘がたくさんございます。それによって、人間関係がどう交錯するのか。
劇研がお送りする新たな『ワーニャ伯父さん』、ぜひ観にいらしてください。


初日が終わりましたが、まだまだ公演は続きます。引き続き会場でお待ちしております。
以上、下男・夜番役、一年生の孫でした。

川本、泣いた夜


「小豆美保は実力で役を勝ち獲ってくれると信じています!」

この言葉を見た途端、突如涙が溢れた。徐々に高まるという類いでなく、突如一気にである。

深夜の自室、「人物相関図」をかく参考に今流行の『バクマン』のコミック最終巻を4年ぶりにめくった。
しばらくして涙がふきだした。登場人物たちの真っ直ぐさに自分がいたたまれなくなった。

正直、負けていた。自分の甘さに負けていた。この戯曲に負けていた。
社会のせいとか、時代のせいとか、演劇のシステムとかのせいにして勝手に卑屈になっていた。

「実力で勝ち取る。」...
自分は全く逆のところにいた。
悔しかった。恥ずかしかった。
つっかえてた気持ちが涙になったのだろう。

真ん前にいる、エレーナ役やワーニャ役に向き合って、それで自分がどう感じたか。どう感じさせたか。救われたのか、カッとなったのか。イライラさせたのか。そういう目の前のことに向き合えてなかったんだなと、改めて思った。
カッコよく台詞を言ったつもりになって満足していた。頭デッカチだった。

「今のシーン、噓ついてるよ」と言うことは簡単だ。「つまらない」と言うことも。
けれど、噓をホントに近づけること。「つまらない」を「面白い」に変えることはめちゃくちゃ難しい。正直、逃げたくなる。
でも、難しいからこそ、その噓をホントに近づけられた時、僕は、信じられるものがこの世界にはやっぱりあるんだなって思えて、日常生活では体験できないような喜びを感じる。

一昨日、舞台上で台詞がとんでパニックになりワーニャ役の内野の腕にしがみつく、という夢を見た。
こんな目にあうなら演劇やめればいいのに。たまにそう思ってしまう。けれど、演劇の喜びがひきついて離れない。

実に暗いブログである。けれど、悪夢を見るくらい真剣になれたんだなと、ちょっと嬉しくなっている。
昨日、例の内野に、「川本、久しぶりに楽しそうだね」って言われた。
また、ちょっと、泣きそうになった。

稽古場は、ここにきて戯曲に振り回されなくなってきた。
本番までにどこまでいけるか。
本番の1回1回でどこまで、相手の台詞を感じられるか。噓をつかないでいられるか。
これが難しい。難しいから、やりがいがある。

ご来場、お待ちしています!

川本恭平

本日小屋入り!

こんにちは!
衣裳小道具チーフの吉村早貴です。
『ワーニャ伯父さん』は本日夕方から小屋入りします!
そんな中、先日私が個人的に体験した小屋入りには全く関係のないエピソードを披露しようと思います。

先日寒かった日に、すごく調子が悪かったんですね。体調というよりは気分的に。
何をするにもやる気が出ないのに、この公演のことでも他のことでもするべきことはたくさんあって、あれもしなきゃこれもしなきゃと思うばかりで行動に起こす気になれなくて、そうやって自分のことで一杯になってるから人への気遣いなんてできたものじゃない、みたいな。
そうやって朝が過ぎ、昼が過ぎてもグダグダとスローペースに動いてたときに、近くにうどん屋さんがあって、空腹でもなかったんですけど、お昼もまだだし食べるかーと思って行ったんです。それで鳥のてんぷら(食べたことないけど美味しそう!)とかけうどんを食べました。それがすっっごく美味しくて。それで食べ終わってふと気づいてみたら、胃のところが中からすごく温まっいて、気分もすごく良くなっていました。
することが溜まっている状況は変わらないのに、胸のつかえがすっと取れて大らかな気分になって、何かやってもいいかな、という気分になっていました。
というようなことが2回あって気づいたのが、ほー、心の不調っていうのは、身体の不調のほぼイコールなんだなということです。
睡眠と食事の不足と寒さが重なると風邪をひくという話も聞いたことがありますし、これから寒い日で不調なときは、とにかく温かいものを摂取しようと単細胞な私は思いました。

これからの季節はますます寒くなっていきますね。
『ワーニャ伯父さん』は、夏から秋へと向かう時期の物語ですが、今の東京は昼はむし暑くて夜は寒い日本いため、劇中の登場人物たちと似たような感覚で日々を過ごしているのではないか?と思います。
私の上で披露した理論を強引に当てはめれば、今の東京人は登場人物たちと似たような気分になりやすいのではないでしょうか。

このようなことを考えながら『ワーニャ伯父さん』をご覧になっても面白いかもしれません。
最後は駆け足になりますが、皆様のご来場を心よりお待ちしています!

一年

今回役者として出演させていただく、一年の井上華歩です

大分寒くなって秋というか冬の訪れを最近感じています
甘いものが食べたくなる時期ですね
さつまいもやかぼちゃのお菓子、冬限定のチョコを見ると早いですがどうしても一年の終わりを感じてしまいます

一人の人が一年を生きるだけでも沢山のことがあり、一年が終わる頃には驚くほどの思い出ができます
一年というのは短いようで密度が濃くて長いものですね

役者をやる立場になったとき、私が一番果てしなく感じることが役の人生を辿ることです
一年ですら長くて濃いのに、なんと人生を辿るのです
しかも辿る人生はとても長かったり、自分からは想像もできないほどのことが起きているものだったりします
これを辿るのはすごくすごく大変で、難しくて、終わりがなくて、正解がありません
役者というものがどれほど大きなものに覚悟をもって立ち向かわなきゃならないのか、日々感じています

舞台上では、それこそ一年の時が流れたり、数年のこと、一日のことだけが繰り広げられたりします
そこで起きることは紛れもなくその場で起きているリアルタイムのもので、そこで新たに人物の人生が進んでいるわけです
一人の人生が形成されていくときを観れることは演劇の魅力のひとつだと思います
でも、たった数時間に凝縮されたある期間の出来事が舞台上で起きているだけなのに、登場人物のそれまでの一生が感じられることも演劇の魅力だと私は思っています

劇を観てくださる方は舞台上で繰り広げられることをみて、ある人物に感情移入したり、ある人物のそれまでの人生に思いを馳せたりすることもあると思います
つまり、劇を見ることで自分とは違う人の人生を少し辿ることになるかもしれません

今年の一年を年末に振り返るときに、見ていただいた方の思い出の中に少しでも劇中の人物の人生が残るような、そんな劇を作れたらなと思いつつ、日々劇を構築していっています

セクション、稽古場、公演に参加する全員で必ず良いものをみなさんに届けます
ぜひ沢山の方が見に来て下さると嬉しいです
予約はまだまだ受け付けています
長々と失礼しました
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