一年生の役者陣の稽古が始まり、気づけば2週間がたとうとしている。6月新人公演の稽古は授業の合間を縫って行われるため毎年時間は限られているのだが、一年生は日々各々懸命に稽古に励んでくれている。オーディションのころはやけにしおらしく、なんだか借りてきた猫みたいだなあと思っていた面々も段々とふてぶてしく、自分を表現することに飢えたいい表情を見せるようになってきた。これを書いている時点ではまだ初通し(1回目の全体通し)も終えておらず、まだまだ先は長いと分かっていつつも、彼らの無限の可能性に脚本・演出として心を躍らせている次第だ。彼らに限らず、演劇研究会に新たに入会してくれた一年生をはじめとした公演参加者全員にとってこの公演が意味のあるものとなってもらいたいというのが企画責任としての願いであり、公演を終えた時、役者や演劇人としてのみでなく1人の人間として、成長してもらえればと思う。 僕自身のことをお話しさせていただくとすれば、この「Forget me not blue.」を書き始めたころの自分は本当にどうしようもない状況だった。小さな挫折やすれ違いが積み重なり、気づけば僕は僕の中で一人ぼっちになっていた。いま思えばとんでもない独りよがりだったのだが、当時の僕はこの世界でこんなにつらいのは自分一人で、誰も自分の本質など理解はできないのだと、本気でそう思っていた。ただ、そんな自分を救いあげてくれたのは演劇研究会の人々であり、脚本として自分の内面を吐き出すことであった。親しい友人、先輩方、同期の、特に新人公演チーフの面々には本当に感謝してもしきれない。 自分は不幸だ、恵まれていないと信じることはたやすく、心地よい。自分が何もできないのは才能がないから、チャンスに恵まれていないから、過去の出来事があったから、立ち止まることの言い訳はそれこそいくらでもあるのだが、それを嘆いていても仕方ないのではないか、というのがいまの僕があの頃の自分に投げてやれる言葉であり、この数か月間で僕が周囲の人々から与えてもらった言葉なのだと思う。 歴史と伝統ある演劇研究会のその新人公演というこれ以上ない恵まれた環境で、参加者の皆さんと公演を打たせていただけることへの感謝と感動は測り知れない。また、自分に昨年の春から多くのことを与えてくれた演劇研究会の面々に報いていく意味でも、「Forget me not blue.」という作品を参加者全員で胸を張ってお客様にお届けしたいとの思いは強い。そのために、千秋楽まで真摯に公演と向き合っていかなくてはとの思いだ。